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その皿は割れる運命だった

 昨夜18時から安倍首相の会見が始まりました。私は下の子の保育園のお迎えがあったので、首相がマイクの前に立ってマスクを外した瞬間に家を出てしまったのですが。

 保育園といっても、下の子にとっては10日ぶりの登園です。どうしても今日は行きたいといって聞かないので、渋々行かせることにしました。そんな久しぶりの日だったけれど、午後3時には、区の要請を受けた保育園から「登園自粛のお願い」というメールが届きました。小学校に続いて、ついに保育園からも。これで私、夫、ふたりの子どもの家族4人で家に閉じこもる生活の本番がはじまります。これまでは予行演習だったに過ぎません。


 政権によって「人生再設計第一世代」という名前を付けられた私たちは、肝心の再設計に着手する機会もなく、またも試練に直面しています。働きながら、家にいて、子どもの(人によっては配偶者や、ご病気のひと、高齢の方)面倒を見なくてはならないという前代未聞の試練です。仕事帰りのちょい立ち飲みや、SUPER A MARKETをぶらっとのぞくといった束の間の楽しみや権利が奪われ、収入も減り、しかし義務は増える。いつまで続くのかも分からない。みなさん、どうか、一日一日を頑張ろうぞ。


 在宅勤務を始めてから12日が過ぎました。夫はたまに出勤していて、7割在宅という感じです。

 そんな日々に私が直面しているのは、目に見えぬCOVID19ももちんろんなのですが、隣にいる夫との関係で、しかも、どうやったら夫を嫌いにならずに済むか(夫に嫌われずに済むか)という切実な問題です。すでに家の中には小さなほころびが出はじめているのですが、今日現在書き記しておくとこんな感じ。


▲働く場所

原稿を書くために私が投資したテーブルと椅子(バランスチェア)を占領しているのは夫である。夫の仕事は大きなデスクトップやモニターが必須なので、ダイニングテーブルでは無理なのだ。代わりにダイニングでちじこまって仕事をするのは私である。しかもダイニングの隣に子どもたちの遊び部屋があるので、子どもの面倒を見るのも私ということになる。


▲食事

3食とおやつの用意を毎日続けることがストレスだ。買って、運んで、作って、食べさせて、(自分も食べて)、洗っての繰り返し。これまではたまの外食で自分を労っていたのだけど、それもできない。朝ごはんを用意して、6時半にいただきます。9時には午前のおやつ。11時半から昼食の支度。15時にまたおやつ。18時から夜ご飯作り。もう、一日中キッチンにいる(ような気がする)。夫に作ってもらってもいいが、一食作るたびに盛大に汚れるキッチンと大量の洗い物を見ていると、自分がやったほうが早いしストレスがないと思い、夫から料理を取り上げてしまう。行きつけのレストランはたいてい休業しているし。


▲支持政党

私と夫は支持政党が違うので、特に選挙が近づくと議論が絶えない。そして今。私のほうがほーら言わんこっちゃないモードで居丈高に家のなかを歩いているが、夫も夫で、なかなか折れない。険悪な雰囲気になるので、政治の話はどちらからともなく避けるようになった。(でも次の選挙のときには、私は黙ってはいないだろう)


▲飲酒量の増加

ずっと家にいてばかりだと、おしまいの区切りをどうつけたらいいのだろう。会社に行っているときは、「お先に失礼します」のひと言や、退勤カードをピピッと鳴らす行為そのものが、気持ちの切り替えに役に立っていたんだなと改めて思う。一日じゅうダイニングにいる今、切り替えを担うのはアルコールだ。私の意志が弱いだけかもしれないけれど、一杯飲まないと、なかなか次の時間(夜の家事)に進めなくなった。しまいには、ワインセラーを買おうかと思いはじめる始末。夫からはひと言、「飲み過ぎを助長するので却下」とのこと。酒飲み性悪説を唱えてきた。腹立たしいが、自分のこれまでを省みると反論できない。


▲運動不足

ピラティスの先生が自宅に来なくなって1か月半が経つ。先生に作ってもらった自習メニューでとりあえずひとりで頑張るのだけれど、監視の眼がないと自分に甘くなる。ただ、これはいかんと思い、ひとつだけルールを作った。スマホを見るのはピラティスマットにのるときだけ、というもので、ストレッチや開脚、軽い自重筋トレをしながらSNSをしている。スマホが見たくなったら、マットにのらなくてはならない。


よいことだってたくさんある。


◯夫婦の会話

私たち夫婦は頼りにできる親戚縁者が近くにいないから、もしCOVID19に罹患したらどうするかというプランをいくつも用意して話し合っておかなくてはならない。 片方が罹患して自宅療養の場合。片方が入院の場合。最悪は、ふたりとも罹患して入院の場合……などなどだ。これらの計画の話をするとき、人は仕事観や人生観みたいなものを避けては通れない。必然的に、何が大事でどう生きたいかという互いの価値観の再認識につながって、改めて、夫のことを理解したりしている。


◯料理は力

先ほどの▲と矛盾するようだけど、それでも三度の食事は生活のたのしみだ。朝の5分10分を利用して、野菜を干したり、ハーブを植えるといった、ちょっと凝った家しごとにも取り組んでいる。時間をかけて育っていくものに手間ひまをかけるというのも、この時期ならではの遊びだろう。それに、いつもの時間に、いつもと同じセッティングでみんなの食事を用意する、ただそれだけのことが、どれほど私を律して健全でいさせてくれることか。


◯SNSが楽しい

ご自分のプロフェッショナルな分野について、粛々と発信を続けている人たちがいる。華道や茶道、音楽。料理、映画、編み物や作陶。歌をうたう人。それらの作品がもつパワーに、何度励まされたかわからない。目障りなツイートを安直にリツイートしてくるような人や、不愉快な発言をする人は、この際即ミュート。ユーモアと創造性のある平和なTLをピラティスマットの上で眺めるのは至福だ。


◯アフターコロナを夢想する

状況が終息したら、あんなこと、こんなことがしたい。それを考えているだけで、現実逃避できる。自分が本当に好きなことも、見えてくる。まずは、長唄と三味線を習おう。いつか……はない。アフターコロナ、必ずや。


◯子どもたち

子ども過ごせることは幸せである。下の子は4歳にしてひらがなが読めるようになり、私がもっている本のタイトルをいくつか読めるようにもなった。字が読めるというのは、なんてすごいことだろう! 世界を自分のものにしはじめている。他にも、父親のために書斎にコーヒーを運ぼうとしたり、おかずの計画を立てたりして、子どもの成長はいつも清々しい。


◯いつも通り

早起きだけは続けたい。キッチンをきれいにして、洗濯もして、コーヒーを飲んで時計を見たらまだ8時。最高だ。たいていのことは、朝早く起きれば大丈夫なのだから。


◯考える、考える、そして考える

いま私たちにできることは明確で、限られている。だから、デマに振り回されて疲れたり、誰かといがみ合って傷つけ傷つけられたり、そんなこととは無縁の在宅生活を送りたい。



以上コロナ下の暮らしの雑感。


 夫と暮らしはじめた2011年の夏、こんなことがありました。私が大事にしていた皿を夫が割ってしまったのです。当然謝ってくれると思った私に、夫は

「ああ、その皿は割れる運命だったんだね。形あるもの、いつか割れるから」

 とだけ言ったのです。

 嘘でしょう? 驚きを通り越して、まばたきすることも忘れました。

 それから徐々に分かっていったことですが、夫は滅多に謝りません。外国の会社で、様々な文化的背景をもつ外国人と英語を使って働いているから、「謝る」が辞書にないのだそうです。たまにオンライン会議などを盗み聞きしていると、彼ら全員、見事に謝らない! なんでもかんでも、発言する時にさえ「すみません、いいですか?」と謝ってしまう日本人にとっては、むしろ学ぶべき点が多いくらいです。


 男の人と暮らしていくということはこんなに大変なのかと、驚いて、痛がって、納得して、私は夫婦をはじめたのではなかったか。あれから約10年たち、「ふたり組」として新たなスタート地点に立った気がします。これが砂の上の拠点でないことを祈りつつ、今日もまた、いつも通りを粛々と続けていきます。



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